天下一武道大会 感想スレ兼避難所 より
[ 第三回天下一武道会 サイドB ]
- 13 :アムロ :2004/04/30(金) 03:22
- 「スコォプの中」 アムロ・レイ
受話器をとって担当という男の話を聞いてみて、自分は電話を受け取ったことをすぐに後悔した。
ある雑誌社の男が、自分の写真を、一年戦争フォトグラフに載せたいから、撮りに窺ってもよろしいか、とたずねてきたのである。
自分はその雑誌を読んだことが一、二度あったが、酷いものだった。戦争をまるで映画かなにかと勘違いし、功績を残した軍人を
銀幕スターか舞台役者かと見間違えるような記事で賞賛し、写真をでかでかと見開きで飾る低俗な雑誌だった。
そんな雑誌を自分が覚えているのは、数ヶ月前のその雑誌の特集がシャアだったからであろう。
彼を見出しに大々的に載せた雑誌は、巻頭カラーから20ページをも使ってシャアの半生を克明にさらけ出し(その大部分は明らかな嘘だったが)
女性遍歴、彼の元部下によるインタビュー、使用したモビルスーツ、果ては士官学校時代の成績まで掲載するという凝ったもので、
大衆が赤い彗星について知りたい、と思う欲求を十二分に満足させるものであった。
自分はその記事自体も嫌気がさしたものだが、もっともうんざりしたのは、そこに載せていたシャアの写真がにっこりと笑っていたからである。
無論のことだが、シャアは仮面をしているので、口元しか判らないのだが、それでも私は軍人の笑顔を載せる、ということにひどい嫌悪を感じた。
兵士の笑顔は、あくまで限定された対象に向けて見せるものであり、大衆すべてに笑うべきではないと思うからである。
とりわけ一年戦争では人類の半分が死に絶えた。大衆は苦しんだ。にもかかわらず軍人が笑う雑誌を載せる。
これは、僕をうんざりさせた。それきりこの雑誌を購入することはなくなったが、それでもこのことが自分の脳裏にはいつもこびりついていた。
だから、自分はこのとき、雑誌の取材を断るべきだったのであろう。それが正しいのは明白なことだった。
しかし、決して言い訳をするつもりではないのだが、ダブリンに軟禁されて、自由に外出もできなくて退屈していた僕はつい
「貴方の雑誌にでる軍人は皆笑っているが、自分は笑う気はないがそれでもいいか」とたずねた。すると
笑わなくて結構だから、是非取材をさせていただきたい。と、先方は言ってきた。それで、
「笑顔を載せないのならば、取材を受ける」と電話先にいってしまったのである。相手は、それを承諾し三日後にこちらに伺うといい電話を切った。
- 14 :アムロ2 :2004/04/30(金) 03:22
- さて、三日が経ち、電話をした男が尋ねてきたので、自分は彼を応接間に通した。
年のころはおそらく三十代後半であろう、短く刈りそろえられた髪と、やや無精な感のある口ひげをたくわえた男であった。
彼の取材はいままで自分が受けたものとあまり変わらなかった。いつガンダムにのったのか、そのときどう思ったのか、怖くなかったのか、
自分をニュータイプと思うか、戦争はすきか・・などである。自分はこういった下らない質問をしてくるものを正直唾棄するほどに嫌いなのだが、
退屈も手伝ってか、やけに饒舌に答えたような気がする。一時間ほどたってようやくインタビューが終わり、さて写真撮影、という段になって突然、
「すいませんが、やっぱり少しだけ笑っていただけますか」といってきたのである。笑顔を表紙にしたい、というのである。
「雑誌の売上にかかわることでして、是非・・」と男はげひた笑い顔をこちらにむけた。
私は突然馬鹿らしくなった。そして、同時に自分に対して滑稽を感じた。わかっていたことじゃないか、どうしてお前はいつもこうなんだ?
「電話でいったように、笑うつもりはありません」と、僕は極めて平静にこたえた。男は、そうですか、といい、今度はポーズについて注文した。
僕は椅子の後ろに少し体重を傾け、顎をひき、右手を机の上に載せた。男はレンズをこちらにむけたまま構えている。
それが、また嫌になった。自分は戦場のとき以来、人に何かを向けられるというのが嫌いである。これは戦争にいったことがある人ならば
共感してもらえると思う。勿論、彼が構えているのはカメラであり、銃ではないのだが、頭でなく、身体が拒否するのである。
だから顔が必要以上に強張った。それで、不信に思ったカメラマンが矢張りどうか笑ってくれまいか、と頼んできた。
自分は早く終わってほしい、とだけ思いその言葉を無視した。カメラマンはこちらが言うことを聞かないのをみると、諦めて写真を撮った。
そして、男はすぐに帰った。私も見送らなかった。
それから一週間もしたころ、その雑誌社から雑誌が送られてきた。表紙をみて驚いた。
自分はにっこりと笑っているのである。まるで表紙になれて嬉しい、といわんばかりの満面の笑みである。自分は愕然とした。
下のほうにはでかでかと、”一年戦争の真打ち!ついに本誌に登場”とかいてある。自分は呆れて中身を読まずに捨ててしまった。
しかし、話はこれで終わらなかった。この雑誌をみた昔の同僚が電話してきたのである。彼らは皆私を批判した。
雑誌の中の自分はどうやらよほど傲慢なことをいったらしい。”ザクがとまってみえた”とか”死んだジオン兵だけがいいジオン兵だ”、
といったというのだ。とんでもない誤解である。だが、弁解するのも無意味な気がしたので、適当に聞き流し受話器を置いた。
それきり自分は取材を受けることを一切やめた。
数年後、シャアにあったときにあのインタビューの台詞がむかついたからクワトロになった、と聞いた。
君を笑いにきた、という意地の悪い台詞の底にはこういった過去があったのだ。