きゃすばるくん、地球を救う 後編 (1)
[ きゃすばるくん、地球を救う ]
- 285 :地球を救う 1/15:04/11/07 15:53:11 ID:???
朝起きるときゃすばるくんがせっせと朝食を作っていた。
テーブルのうえにはこの前と同じように、こしひかりと味噌汁と卵焼きと鮭の切り身と納豆と漬物が置かれていた。
朝の挨拶をしてから椅子に座りNHKの朝のニュースをみながら黙々と納豆をかき混ぜていると
自分がなんだかとても遠いところに行ってしまった気がした。まるで平凡な郵便配達夫が赤紙をもらって数日後には
サイパン行きの輸送船の甲板上で三十八式歩兵銃を握り締めながら海を眺めているみたいに、自分と現実との間がうまくコミットできないでいた。
どうしていったいこんなことになってしまったのだろう?
どうして僕はきゃすばる・れむ・だいくんに食事をつくってもらっているのだ?それは果たしてコレクトなことなのか?
けれど当たり前だけれど、価値相対化が極度に進んだこの日本社会で何がコレクトで何がコレクトじゃないかなんて誰にもわからない。
ありとあらゆることは『人それぞれ』といった言葉で肯定され、容認され、是認されているからだ。
だから僕がこうしてアニメキャラに食事をつくってもらうこともきっとコレクトな行為なのだ。たぶん。
『きゃすばるくん、地球を救う ー後編』
きゃすばる・れむ・だいくんについて何かをここで詳しく説明する事はあまり意味がないので避けようと思う。
そんなのはガンダム関連の本を2、3冊読めば少なからず載っているからだ。インターネットで検索してもいい。そこには
知るべき情報やとりたてて知らなくていい情報(たとえばシャアの載った機体の製造番号)までありとあらゆることが載っている。
わざわざ僕が数少ないガンダム知識で説明することなんて何一つない。話したところで笑われるだけだ。
にもかかわらず、僕はここで自分の口から多少の説明を加えないといけないだろうと思う。やはり二次元的な存在がこうして三次元的な
空間に存在をしているわけなのだから、そこにはなにかしら説明すべき何かがあると思うからだ。
しかし説明する段になると、僕は松井稼頭央を取ってしまったニューヨーク・メッツの監督のようなある種の苦悩に陥ることになる。
きゃすばるくんをいったいどこからどう言う風に説明したらいいのかわからないのだ。外見?行動?声?それら全てを正確に文章で
表現するには僕のボキャブラリーはホワイトベースにおける塩の備蓄量くらい絶望的に不足している。かといって、ボキャブラリーを
いまから増やす事は塩を確保するようには簡単にはいかない。それは僕にとってかなりタフでいささか憂鬱な作業である。
だから、ぼくはここでは現在僕が置かれている状況を説明するだけにする。つまりーー
彼は、シャアが落す隕石を、食いとめるために、僕の力を、借りに、きた。
以上だ。
- 286 :地球を救う 2/15:04/11/07 15:59:03 ID:???
- ※
朝食が済んだ後、僕達はガンダムのビデオを視聴する事になった。逆襲のシャアはみてしまったので、今度はZを見ることになる。
結局の所、僕がシャアという人物の存在と行動の記録を辿るにはそれしか方法はなかったし、これが一番てっとりばやかった。
幸いなことに僕はシャア(というかクワトロの行動)についてそのほとんどのことを忘れていたし、
Zガンダムの内容自体もほとんど記憶していなかった。ハマーン・カーンは確かZZのキャラクターだった気がするけれど、
このZガンダムにも出ていた気がする。アポリーは覚えているけど、その相棒の名前は思い出せない。その程度だ。
だからもう一度Zガンダムをみるということになっても特に面倒だと思うこともなかった。それはいうなれば10数年前に校舎の脇に埋めた
タイムカプセルを掘り出すみたいな内的な作業であり、ある種の懐かしさと感慨を僕に与えてくれる行為だった。
それに、こんな機会でもなければ80年代のアニメをもう一度みようなんて気にはならない。といって最近のアニメを見る気になんて
もっとならないけれど。
「ガンダムにでてくる人の中で、誰が一番好きですか?」
アムロ再び~ダカールの演説~宇宙を駆ける、とZガンダムの名場面を一通り見終わった後にきゃすばるくんが
突然そんなことをきいてきた。僕はそのとき、シャアの思想の遍歴にはいつもニュータイプに対する憧憬と自己の失望が
入り混じっていることを考えているところだった。極端な話、僕には彼が単純に嫉妬しているように思えたのだ。
新しい時代をつくるのは老人ではない、というのは次世代ニュータイプに対する彼の嫉妬と諦観が入り混じっているようにしか受け取れない。
だって彼はこのとき27なのだ。まだ老人ではない。それにもしも彼が老人というなら二十八の僕もものすごく老人ということになる。
けれど残念ながら僕はまだ年金をもらえないし、介護保険も受ける事は出来ない。シルバーシートにだって座れない。
「そうだね・・やはりアムロかな。初代ガンダムからみているというのもあるし、彼が最強のニュータイプだというのも魅力だね。
見ているほうとしてはやっぱり強いキャラクターの方が惹き付けられるから」と僕は答えた。
「なるほど」ときゃすばるくんはうなづいた。「たしかに彼は最強ですね。シャアに勝ち、ララァの呪縛を克服し、隕石を押し出した」
「まさにニュータイプ」と僕はいった。一方シャアはどうだろう?アムロに負け、ララァの呪縛に囚われつづけ、隕石を阻止された彼は
やはり出来そこないなのかもしれない。シロッコのいうことにも一理ある。
「君は?」
「ぼくですか?」
「うん。君は誰が一番気に入ってる?」
僕のその問いに彼は暫く考え込んでいたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「アムロ・・じゃないことはたしかですね」
「へえ」と僕はいった。「アムロは嫌いなんだ?」
きゃすばるくんはなにもいわなかった。おそらく嫌いなんだとおもう。まぁ、ジオンの立場からみれば当然かもしれないけれど。
「僕個人の好き嫌いは別として、シャア・アズナブルが誰が一番気に入っていたのかならばわかります」と彼はいった。
「へえ。それはいったい誰かな?」
「ガルマです」
「ガルマ?どうして?」
僕は貴族的上品なカールを巻いた髪の毛をしたぼっちゃん面を思い浮かべた。「シャアはあんな坊やのどこが気に入ってたのかな?」
「シャアも坊やだからですよ」ときゃすばるくんはさらりといった。「だから気に入ってたんです」
とてもシンプルな答えだった。確かに成人した大人は地球に隕石を落そうとはしない。
そんなことをするのは子供だけである。そして子供と仲が良いのはいつも子供なのだ。
「なるほどね。ん?ちょっと待って。けれどおかしいな。シャアは確かガルマを殺したよね?」と僕は聞いた。
「子供は残酷ですから」ときゃすばるくんはいった。「いじめの延長みたいなものですよ、あれは。はずみってやつです」
「むしゃくしゃしてやった」と僕はいった。
- 287 :地球を救う 3/15:04/11/07 16:02:57 ID:???
- ※※
一年くらい前のことになるけれど、妹がガンダムにはまっていたことがある。それは確か土曜の夕方にテレビでやっていた筈だ。
僕が実家に帰省した時、彼女はそれを夢中になって視聴していた。僕はリビングに3日分の衣類を積めこんだバッグをおろし、
料理をつくっていた母と会話をし、冷蔵庫から冷たいビールを取り出して飲んだ。そして、妹のわきのソファに腰を下ろした。
テレビにはなんだかよくわからないトカゲみたいな主人公が映っていて、なんだかよくわからない嗚咽を発しているところだった。
なんだか気持悪い声だったので僕はうんざりした。なんだって実家に帰ってきた早々、男の不気味な泣き声を聞かなくちゃならないんだ?
背後にはロボットが大きく映っていた。あれはおそらくガンダムだと僕は検討をつけた。少なくともあれはマイトガインではない。
「これ、ガンダムかい?」と僕は隣でハンカチを片手に食い入るようにみつめている妹に声を掛けた。
「そうよ。ちょっと話しかけないで。いますっごくいいところなんだから」
「この爬虫類みたいなのが主人公?」
「ねえ。私のいったこと聞いてた?話しかけないでっていってるの」といって彼女はこちらを睨んだ。
「だって、こんなのガンダムじゃないぜ」と僕は反論した。
「なにいってるの?ちゃんと新聞にかいてるじゃない。ほら、機動戦士ガンダムSEEDって」
僕は朝日新聞のテレビ欄をみた。確かにそう書いていた。
「誤植かもしれない」と僕はいった。どんな新聞にだって間違いはある。僕らはそれを赦さなければならない。
10数年前、ZZガンダムという作品がこの世にでてきたのを赦したときと同じように。
「これがガンダムっていうんだったら、グランゾートとワタルが一緒ってことになる」と僕は重々しい口調でいった。
「そんなの納得できるかい?」
少なくとも僕自身はラビと虎王を一緒にとらえる事はできないし、もしもそんなことになるならサンライズに抗議の電話だってかけるつもりだ。
だけど、こんな判り易い説明にも関わらず妹は僕をアテネ・オリンピック大会におけるマラソン乱入男をみるような軽蔑した目でひとしきり睨んだ。
そして「ねえ。 お ね が い だからむこうにいって。そしてもう話しかけないで」と吐き捨てて、再びテレビに視線を移した。
だけど、残念なことにガンダムSEEDは既にエンディングになっていた。妹はドーピングがみつかったハンガリーの砲丸選手みたいに固まった。
僕は黙ってビールを飲み、終わりの歌を聴いた。
エンディングの曲はどこかで聞いたことのある声だった。僕は記憶の海の底からこの声に該当する歌手を捜し当てた。
「ねぇ、これってひょっとして米米クラブじゃない?」とぼくはいった。けれど、妹は僕の問いには答えてくれなかった。
翌日も、その翌日も。
一年後の現在、僕と妹の関係はザビ・ファミリーとそっくりになっている。いつか背後から撃たれるかもしれない。
ピース。
※※
- 288 :地球を救う 4/15:04/11/07 16:10:55 ID:???
とりあえずここまでにしときましょう、ときゃすばるくんがいったのはもう太陽が沈み、
真っ白なスプーンみたいな月がゆっくりと頭上で銀色の光を発し始めた時のことだった。追記すると見始めたのは朝8時からだった。
要するに僕は朝から晩までガンダムのビデオを見せられた事になる。身体を動かすと、節々がみしみしと音を立ててきしんだ。
目が痛かったので、医薬品の棚から目薬を取り出して何滴かさした。そして、おおきく一度伸びをした。
「お疲れ様でした」ときゃすばるくんがいった。彼はちっともつかれてないようにみえた。
「これで世界は少しでも助かるほうになったかな」と僕はいった。
「おおいに」ときゃすばるくんはいった。「確率的にはグフからドムくらいにあがりました」
あまり期待できないような気がする。それは。
「それはそうと、隕石が実際に落ちるとどんなことになるんだろう?」と僕は眉間の辺りを押さえながら尋ねた。
「そうですね。サンプルの大きさが違うのであまりさんこうにはならないかもしれませんが」と前置きしてからきゃすばるくんはいった。
「1994年シューメーカー・レビー彗星群が木星に衝突したとき、そのあまりの衝撃の大きさに世界中が愕然としたことがありました。
いままで科学者が想定していたより遥かに物凄い爆発だったからです。そのなかのもっとも大きな七番目の隕石「G」は
なんと直径が3kもありました。その破壊力は広島原爆の実に3憶個分といわれてます。TMT爆弾にすると600万メガトン以上になります」
僕はあまりのその衝撃の凄さに愕然とした。おいおい、リトル・ボーイの三億個分だって?
「けれど、今回シャアが落そうとするのはそんなに大きくありませんから」ときゃすばるくんは僕を安心させるかのようににっこりと笑った。
「やれやれ」と僕はいった。そんなの気休めにもなんにもならないじゃないか。それは例えるなら神宮球場における巨人対ヤクルト戦で
20対3で負けるか17対0で負けるかくらいの違いしかない。ちなみに僕はヤクルトファンなのだ。
「信じるんです。僕らならやれます」
「だといいけど」と僕はよわよわしくいった。
「いいけど、じゃありません。やるんです」
きゃすばるくんは力強くいった。まるで指定銘柄を推薦する証券アナリストのような説得力がそこにはあった。
「がんばるよ」と僕はいった。そして今日の東京証券市場の株価の推移のことを考えた。
やれやれ、十数年前には株価が三万円台だったことを今では誰が覚えているんだろう?
- 289 :地球を救う 4/15:04/11/07 16:13:19 ID:???
- ※ ※
「もしもし」
「あたし。ねぇ、明日あいてる?」
「明日は駄目なんだ」
「そう?せっかく貴方が聞きたがっていたコルトレーンのレコードが手に入ったから、届けにいこうと思ったのに」
「悪いけど」
「ねぇ、わたしたちもう3ヶ月あってないのよ?これって平均的な恋人の逢瀬割合かしら」
「多分すごく低いだろうね。織姫と彦星ほどじゃないだろうけど」
「いっそそうしてみましょうか。一年に一回だけ」
「SEXも?」
「もちろん」
「やれやれ」
「まぁ、それは冗談としても、もっと電話やメールくらいくれてもいんじゃないかしら。いつも私からよね。連絡するのは」
「そうかな?」
「そうよ。貴方って大学時代からほんと連絡とかに無頓着なんだから」
「今度から気をつけるよ」
「ねぇ、それにしても明日どんな用事があるの?やっぱりUFJがらみのシステムトラブルなの?」
「いや、仕事じゃないよ」
「じゃあなんなの?」
「きゃすばるくんっていう子供と一緒に地球を救うんだ」
「・・・あなた、仕事のしすぎじゃないかしら」
「そうかもしれない」
※ ※
- 290 :地球を救う 6/15:04/11/07 16:19:12 ID:???
翌日になる。
つまり隕石が落ちる日だ。正確に言うと2004年9月25日である。元号でいうと平成十六年だし、皇紀で言うと2660年くらいだと思う。
今日は月曜日なので、僕はいつもどうり仕事にむかった。きゃすばるくんは家に残った。
最初、僕は有給休暇をとろうかときゃすばるくんに提案したのだがシャアが隕石を落すのは夜だから出社して構わないらしかった。
相変わらず机の上にはうんざりするくらい書類が積み上げられていた。まるで絨毯爆撃される前のベトナムの密林みたいに僕の机は
陥没し、混沌の中に埋まりこんでいた。メールボックスにはシステムの不具合をしらせるプログラマー達からの報告が沢山寄せられていて、
朝から僕はそれの対応におわれることになった。
僕はそれらすべてを可及的速やかに処理をしなければいけないものと暫く放置してもいいものとに仕分けをし、
しかるべき対処が必要なものにはしかるべき処置をし、上司には進行具合を報告した。チームの仲間と定期的なミーティングをひらき
今週から取り組むべき別の問題についてしばらく話し合った。かなりハードでタフな問題がそこには山積みされていた。
机の上にある2台のパソコンはいつもディスプレイになんらかの数値が表示されていたし、その数値はめまぐるしく変わった。
ほんのすこしだけ休みが取れると、僕は無意識にタバコを取り出し2、3本吸った。大学を卒業してから暫くはやめていたのだが、
仕事が忙しくなってきてからまた吸うようになっていた。健康には悪いかもしれないけれど、少なくとも精神は落ちつく。
僕はひょっとしたらこんな風な日常も今日で最後かもしれないなと思った。隕石が落ちればUFJも三井住友もなくなるから、
今作っているプログラムなんて全く必要がなくなるし、そもそもこの会社だって(ついこの前本社ビルを新築したのだけれど)瓦礫になるだろう。
とするといま僕がやっていることは無駄なのだろうか?そうかもしれない。
けれどそんなこといってしまうとありとあらゆる人間の営みというのは全て無益なものになってしまう。
人生というのは、と僕が通っていた大学の教授はいった。
いかに無駄な事に価値を付与することができるかにかかっているのです。
確かにその通り。僕は呟いてから、タバコをもみ消した。
※ ※
ガンダムを見ていた頃、僕は思春期の少年だった。そして、その年頃の少年の大半がそうであるように女性に恋をしていた。
だからというわけではないけれど、モビルスーツとは別にやはり女性キャラクターにも目が行く事になった。
セイラ・マスやファ・ユイリィ、ララァ・スンといった女性キャラはやはり僕の心に強く印象として残ったし、
ときどきあるシャワーシーンでは妙にそわそわして、嬉しさというより罪悪感の方が強かったものだった。
もちろんしっかりとみたけれど。
最近のガンダムでもこういった女性キャラによるお色気シーンというのは根強く残っているときく。さらに過激になっているとも。
前回のガンダムでは主人公がSEXをしてPTAやなんやかやで問題になっているとも聞いた。
けれど、正直なところこれは仕方がないことだと思う。それが時代の流れだというものだし、15~6歳の子供でSEXをしたくない
子供やマスタベーションをしない男はいないからだ。もっともそういったことを描写するのがリアリティの現れとは思えないが、
そういったことも表現の一部としては悪くないと思う。戦争とは死の物語なのだし、死は生の渇望を喚起させ、それがSEXという
行為につながっているからだ。もっともただのお色気として監督が採用したのならそれは哀しいことだし、抗議されるべきだと思うが。
それに、僕は思うのだけど、もしもセイラ・マスよりリュウ・ホセイの方ばかり興味がある少年というのがいたとしたら、
これはこれでやばいんではないだろうか。いや、ニュータイプだよ、と喜ぶ人もいるかもしれないけれど
おそらくそれは強化人間だと思う。なにを強化されてるのかはよくわからないし、知りたくもないけれど。
※ ※
- 291 :地球を救う 7/15:04/11/07 16:30:34 ID:???
仕事がおわってアパートに帰りついたとき、時計の針は七時を差している。部屋の中はしんとしていて物音一つしない。
僕は左手でネクタイをほどきながら、テレビのリモコンを掴み、スイッチを入れる。
赤いほっそりとしたワンピースを着た女性がはきはきと「今夜の都内は曇りです。早朝には晴れるでしょう」と述べている。
後ろには天気図が載っている。明日は東京は晴れで、名古屋は曇りで、大阪は雨のようだ。
「よかったです」ときゃすばるくんがいう。彼はいつのまにか後ろに立っている。「雲があれば隕石はみえませんから」
僕も同意する。ばかでかい隕石がみえたら、都内23区は大騒ぎになってしまう。ひょっとしたら暴動になるかもしれない。
大衆は政府に説明を求め、民主党は小泉に詰めより、自民党は秘書がやったことと弁明してしまうかもしれないし、
東京大学には再び時計棟に学生が集まり革命を宣言し、フライデーにはたけしが襲撃し、多摩川にはアザラシが出没するかもしれない。
中国は靖国参拝がこの結果を招いたと批判し、アメリカはテロリストがついに隕石を兵器としてつかったのかと騒ぎ、ロシアが南下してくる。
そんなことになったらーーもちろん大部分は誇張だけれどもーーこの平穏な世田谷区での生活は終わってしまうことになる。
僕のささやかな暮らし、ハッピーとまではいかないが、アンハッピーでもない生活。
ビールを飲み、ランディー・ウェストンの「Destry Rides Again」を聞き、彼女と七夕みたいなSEXをして、「狭き門」を読む。
時々は上野動物園にいって宇宙と地球の有限性について考えながら一日中、きりんの首を眺める。(僕にはキリンの首は
なにか大事なことを示唆しているようにおもえてならないのだ)
もちろん、たいした生活ではないし、大抵の人から見たらくだらない生活かもしれない。けれど僕にこれで満足していたし、充分なのだ。
もし隕石が落ちてこの生活を破壊するというのなら、僕はきゃすばるくんではないにしろ戦わなければならない。
やがて天気予報は終わり、よくわからない大河ドラマが始まる。新撰組?どうして平成の世の中で新撰組なんてするんだ?
幕末なんてものはもはや一種のファンタジーになってしまっていて、そこにはもう改めてみるべきなにかがあるとは思えない。
うんざりして僕はテレビを消す。腰に刀を差すのと、モビルスーツに乗る事は現時点においてどちらが非現実的なのだろうとふと考える。
だけど、もちろんそんな考えに結論はでることはない。そういった考えはドラえもんとのびた、どっちが主人公?といったのと同じ次元に過ぎない。
その考えはどこにも進まないし、そもそもどこにもいけないのだ。
- 292 :地球を救う 8/15:04/11/07 16:34:39 ID:???
「そろそろはじめようか?」と僕は彼に聞く。きゃすばるくんは頷く。立ちあがり、ベランダに繋がる窓のカーテンを引く。
近くの電灯から差しこんでいた光はさえぎられ、室内は海の底のように暗くなる。どこか遠くで烏がなくこえが聞こえるが、それもすぐに消える。
世界には僕ときゃすばるくんしか存在しなくなる。まるで分厚いカーテンで虚構と現実がはっきりと区分けされるみたいに。
「本当にありがとうございます」ときゅすばるくんは改まった口調で僕にいう。僕は首を振る。
「べつに謝ってもらう必要はないよ。僕は僕自身のために行うだけで、別に地球を守るなんて大それた目的のためじゃあないし」
「それでも普通の人にはできないことです」
きゃすばるくんはそういって、僕の目をじっとのぞきこむ。彼の目は月みたいにまるくて綺麗だ。そして、どこかはかなくみえる。
「いいからはじめよう」
僕はいう。こういうあらたまった挨拶とかいうのは苦手なのだ。照れくさいのもあるけれど、なんだか自分が別に人間になった気がしてむずがゆい。
きゃすばるくんはポケットに手を突っ込むと中から小さなカプセルを取り出して、僕の手のひらにそっとおく。
「これを飲んでください」
「これはなにかな?」と僕は聞く。
「睡眠薬です。寝てもらう必要があります」
「寝る?」と僕は問い返す。彼は頷く。そして、ゆっくりと口を開く。
「戦闘はブラックボックス化された意識下で行われます」と彼は説明する。「つまり夢の中です。
そうでなければ想像力のなかでシャアと戦うというのは脳に多大な負担をかけることになりますから」
「ブラックボックス?」
僕は問いなおす。きゃすばるくんはもう一度うなづく。
「つまり誰にもわからない部分、貴方自身にもわからない意識の底流です。そこで物事は起き、終わります。
過度の脳のオーバー・ロードは貴方の神経を焼ききるおそれがありますから。まるで早送りと撒きもどしを繰り返したビデオ・テープのように。
だからパチン、とその回路を閉じてOFFにします。ONになるのは全てが終わった後です」
「それじゃあ、僕はなにもシャアと君の戦いをみることはできないってこと?」
僕はいささかがっくりする。いや、正直なところかなりがっかりする。
現実にシャア・アズナブルをみることなんてきっとこれが最初で最後だろうに、それがみれないのは残念きわまりない。
「みないほうがいいです」ときゃすばるくんはちょっと困ったような顔をする。「みてもろくなもんじゃありません」
きゃすばるくんがシャア・アズナブルとの戦いをみせたくないのは僕にはなんとなくわかる気がする。これはショーではないのだ。
もちろん、アニメでもない。かなりタフな生存をかけた決死の戦いなのだ。そこではシャアがいて、隕石があり、地球が危機なのだ。
僕はこまったような彼の顔と手のひらの上のカプセルを見比べて、一旦深く溜息を吐く。まるで自分がソクラテスになって
しまった気がした。もちろん、これは毒薬ではなく、きゃすばるくんはプラトンではないけれど。
「飲むよ」と僕はいう。きゃすばるくんはほっとした表情になり、「ありがとうございます」といって水の入ったコップを差し出す。
僕は、カプセルを口に含み、それをゆっくりと飲み下す。そして、意識は薄れ僕は夢の中に深く沈みこんでいく。
- 293 :ひとまず。:04/11/07 16:40:15 ID:???
- あんまり長いのでここで一旦切ります。続きは出来てるので、明日にでものせようかなとおもいます。
大変お待たせしてしまったようで申し訳ありませんでした。本当に、もう、まったく。予定なら9月25日に載せるつもりだった
んですが・・・すいません。ほんとに。