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ブライトノア・クロニクル(中)

[ ブライトノア・クロニクル完全版 ]
315 名前:ブライトおまけ :04/01/14 03:30 ID:???
  『  ブライトノア・クロノクル(中) 』

1章  ポストウォー アデレート

アデレート空港の被害は僕が想像したよりもずっとひどかった。
いたるところにミサイルの爆撃の跡と推測される巨大なクレーターができていたし、更にモビルスーツの核爆発跡らしき空洞が地面に
ぼっかりと深淵の穴を穿っていた。空港のビルは粉々に砕け瓦礫の山と化していて、もはやその機能を果たすことは不可能のように思われた。
森らしき所はもはや赤茶色の土壌を隠すことはしていなかったし、また、もはや隠す必要も無かった。
その中で、比較的被害の少なかった南部一帯に僕はいた。
空港の南はじの所には、マフティー・ナビーユ・エリンの機体である≡ガンダムが鎮座されていたからだ。
その機体は、ラーカイラムのなかでみたMSピープルが作っていたガンダム其れ自体にみえた。もっともサイズが極端に違うことを除けば、だ。
メカニックの話ではどこで製造されたのかはわからない、ということだったが、僕からみればアナハイム・エレクトロニクス社の製品だとは
容易に推測できた。勿論、連邦の上層部でもそのことはわかっている筈だ。だが、それをいわないのがまた、大人の世界というものなのだ。
少なくともMSピープルが作ったものではない。その事実が僕を安心させた。
僕は手を伸ばして装甲に触れる。全体的にうっすらと焼け爛れているのは、新しく開発されたビームシールドによるものだと聞いた。
新しい技術がどんどんと出てくるのは、歓迎すべきことなのかもしれない。だが、結局のところ、それは人を殺すためのものにしか過ぎないのだ。

僕はコクピットに入る。
最新型リニア式の3重装甲で覆われたコクピットの中は、実現ディスプレーの面にヒビがはいっているのを除けば、すぐに使えそうだった。
シートに座り正面をむくと、開かれたハッチからガンダムが墜落したときの衝撃波で、なぎ倒されたままの森林がみえる。ひどい有様だ。
僕はそのままの態勢で目を瞑る。ここにいたパイロットがどんなことを思って乗っていたのかを考える。

”全ての人々が宇宙に出なければ、地球は本当に浄化されることはありません。現在、宇宙は人類にとって平等な空間なのです。
問題は、新しい差別を発生させて、連邦に従うもののみが、正義であるという一方的なインテリジェンスなのです”

こちらに到着したときに読ませてもらったマフティーの発言をまとめた書類に書いてあった内容の一部だ。
彼の思想はシャア・アズナブルの影響を多分にうけている。彼の反乱の失敗をうけて更に急進的に尖らせたようなものだ。
マフティー・ナビーユ・エリン。真実、正当な、預言者の王。そのネーミングは自惚れというより、極めて自嘲的なように思える。
僕は彼のなかにシャア・アズナブルの幻影をみることができる。マフティーはニュータイプなのだろうか?
仮にそうだとすると、ニュータイプという名の新人類はやはり、大衆主義に敗北する運命なのかもしれない。

僕はシートに座る。座席は、とても硬質で、お世辞にもやすらぐことなどできそうにない。
そのことは僕にとって意外なことに思える。これでは高揚したパイロットの精神を落ち着かせることなどできないのではないだろうか?
居心地の悪いものを感じて、僕は一旦コクピットのなかで立ち上がり、もう一度深く座りなおす。
だが、シートは相変わらず硬く、生理的にもあまり好ましいとは思えなかった。不愉快といっていい。
僕はモビルスーツのコクピットに乗るという機会はほぼないといっていいが、それでもこの硬さはあまりに旧時代的だと思わざるを得なかった。
これは初期、つまりアムロがRX78に乗っていた時のシートのようで、近代工学の粋を集めたと思われる≡ガンダムが、シーツの部分だけに
手抜かりをしていると考えるのはどうも納得がいかなかった。わざわざ、このようなタイプのシートを選んだとしか考えられない。
なぜだろう?
僕は、暫くこのことについて考えたが、思いついた答えはこういうものだった。
つまり、どんな崇高な理想を唱えているといえども、無差別殺人的なテロリズムをしている自分が、軟らかいシートに座って、
ぬくぬくと人殺しをすることをマフティーは好まなかった。自分を律するために、あえてこのシートに乗っていたというのはどうだろう?
こう考えることで、少しだけマフティー・ナビーユ・エリンというテロリストのことが理解できる気がした。
彼はピュアなのだ。たとえ、それが極めて陳腐な感傷的行為にすぎなくても、そういった感情を捨てきらない男というのが僕は好きだった。

316 名前:ブライトおまけ :04/01/14 03:43 ID:???

「艦長、そろそろ戻りませんと・・・早朝には、マフティーの処刑もありますし」
副艦長のシーゲンが、コクピットを覗きこむようにして、そういったので、僕は立ち上がった。
少し眩暈がした。

ガンダムから降りて、車に乗るときに、僕はもう一度振りかえり、壊れたガンダムの姿を網膜にやきつける。
僕はこれまでガンダムという機体に乗ったことは無いが、それにもかかわらずガンダムという機体にもっとも関係を持った男だとおもう。
そういう意味では僕は、除隊の前にこうして壊れたガンダムをみるのはキリがいいといえるような気もした。
僕はガンダムというフォークロワ(民間伝承)の始まりと終わりを見届けたのだ。おそらく。
ガンダムという一つのフォークロワはこれで終わることになる。そして、おそらくニュータイプという名のフォークロワも同時に終わる。
「それにしても、不穏分子がガンダムという名称の機体に乗るなんて許せないでしょう?」と、ハンドルを握ったシーゲンがいった。
「そうでもない。おおかれすくなかれ、ガンダムのパイロットには反骨の精神があったのさ」
と、助手席の僕は応える。「・・・たとえ、機体がなくなったあともね。それに、ガンダムの最後はいつもあんな感じさ」
「そうなんですか?」 
「そうさ。ばらばらになったり、首がなかったり、機体が焼かれたり・・・総体的に不幸なんだよ」
答えながら僕は振り向く。アデレートの絵に描いたように鮮やかな夕焼けが、ガンダムを赤く染め上げ、ゆっくりと飲み込もうとしていた。


2章  処刑 と 少女


軍用ワゴンから降りた僕が最初に目にしたのは処刑が行われるにしては豪華すぎる屋敷ではなく、
屋敷の前でこちらをみている、その少女ーーといっても17,8くらいだろうがーーだった。

少女の顔は美しかった。色が白く、長い金髪がよく似合っていた。きっと、僕がもう20歳わかければ恋をしていたに違いない。
こちらをじっと見つめるその瞳はくるっと見開かれている。薄紅色した唇が小刻みに震えているのがわかった。
寒いからではなく、その震えは精神的な面のようにおもえた。彼女は僕をみて、ひどく動揺しているように思える。
僕は少し彼女の態度と容姿に興味を持ったが、護衛していた兵士がこちらにきて大仰に敬礼したので、そちらに目をやった。
「准将は、屋敷で、お待ちであります」
「ン・・・」
と、僕は敬礼をすると、屋敷に向けてゆっくりと歩いた。軍が民間用に接収した屋敷であると聞いていたが、ひどく立派なものだった。
財閥が所有しているものかもしれない。振りかえると、まだあの少女がこちらをみている。まだ震えている。
「あの少女は?」と、僕は護衛の兵に聞いたが、彼は首を振って何も答えなかった。このあたりに民間人が近寄れるわけがないということを
考えると、誰かの愛人か妾だろうということは容易に推察できた。政府の高官連中・・・、ひょっとしたらケネス准将の愛人かもしれない。
だとしたらうらやましいことだな、と僕は思った。そして、ミライのことを思った。彼女はどこにいってしまったのだろう?
やれやれ、僕は何をしているのだろう?決まっている。マフティー・ナビーユ・エリンの処刑に立ち会おうとしているのだ。

僕は屋敷に直接向かわず、処刑が行われる裏庭にいってみることにした。
庭は、左右に、つたのからんだ古めかしいレンガの塀に囲まれていて、真正面には、夜明けの光に、時折反射するアレキサンドリア湖が見えた。
中央に、一本の柱が立てられていた。マフティー・ナビーユ・エリンをつなぐための柱だろう。
十数名の緊張した面持ちの新兵達が拳銃を手にし、休めの姿勢のまま立っていた。黒い服に身を包んだ牧師もいたが、
マフティーはきっと祝福を拒否するのではないかな、と僕は思った。彼が噂どうりの男なら、少なくとも人生の最後に直面して、
神にすがるような男とは思えないからだ。すくなくとも、僕なら祈らない。

”テロは、あらゆるケースであろうと、許されるものではないからです”
彼はアデレートを侵攻する直前にこう述べた。僕もそうおもう。だけど、この銃殺もまた軍事裁判という正当な手続きを踏んでいない以上、
連邦政府による私刑である。そして、私刑もテロと同じようにまた、あらゆるケースで許されない。
もっとも、こういった処刑が政治にはつきものといえばそうなんだけど。屋敷に戻りながら、僕は思った。

317 名前:ブライトおまけ :04/01/14 03:55 ID:???

3章  閃光のハサウェイ


通された応接間で、眠気覚ましに熱いコーヒーを飲んでいるとケネス准将がやってきたので、僕は立ちあがって敬礼をした。
「ブライト大佐。それではいまからマフティー・ナビーユ・エリンの処刑を、地球連邦政府、ケネス准将の名において執行します」
ケネス准将の顔はこころなしかやつれてみえる。まるで処刑されるのはマフティーではなくて彼みたいだ。
そのことを彼に言うと、苦笑しながら「最近、寝てなくてね」といった。僕は、大変ですね、と同情する。
僕は彼がマフティーにたいして友情のようなものを感じていることを知っている。
マフティーを絞首刑にすべきだという声が、政府首脳にあり、それを阻止し、銃殺という軍人的な名誉を与えるように進言したのが、
彼だということも聞いている。そのことを不思議に思い、マフティーとケネスはつうじていたのではないか、といったようなくだらない
推察をしたものがいることもしっている。だけど、それは実にばかげたことだ。
シャアとアムロの例をあげるまでもなく、戦争という特殊な状況下では敵対する人と人は極めて特殊な関係を築くことがあるのだ。
そして、そういうものがなければ僕らの存在はあまりにも無意味にすぎる。人は兵器ではないのだ。
「それでは、立ち会いましょう」
と僕がいうと、ケネス准将は首を横に振った。
「これは、私の仕事です。どうぞ終わるまでここにいてください。わざわざ処刑をみることはありません」
「しかし、それでは・・」
「いや、いいのです。是非、そうしてください。こんな仕事に准将と大佐の二人が揃って顔を出すまでもないのですから」
「そうですか?そこまでおっしゃられるのならば、そうします」
「ええ、是非そうなさっていてください」と、彼はどこかほっとしたようにいった。「こんなこと、私だけで充分です」
それでは、と去っていく後姿を見送った後、ソファに沈みこみ、コーヒーを啜った。やけに苦かった。
僕は最近、コーヒーはミルクを入れて飲むことにしているのだ。ミライがそうやって飲んでいたのを真似しただけだけど。

銃声が聞こえたのは、それから五分程した後のことだった。
それを合図に、僕は立ちあがると窓際に近寄った。先程と同じ、強張った顔のままの兵士達が柩を運んでいくところが目に入った。
中には勿論、マフティーが入っているのだろうと僕は漠然と思った。彼らの歩く先には一台の軍用ワゴンが待っていた。
僕がそちらに気を取られているとケネス准将が戻ってきた。右手には、鞭を持っている。
「ご苦労でした」と、僕は声をかける。「マフティーの様子はどうでしたか?」
「あぁ・・・いさぎよい。堂々としていましたよ・・本当に」と、彼は言った。
「彼の遺体は?」
「火葬場行きです」と、彼はいって、鞭を放り投げ、ふぅ、っと溜息をついた。
僕と彼は屋敷を出て、道路に止めてある車のところまで二人で歩いた。周りをみまわしたけど、もう朝方見た少女はいなかった。
「大佐もアデレートの任務が終われば除隊でしょう?どうなさるのです?」と、車に乗りこみながらケネス准将がいった。
「サイド1のロンデニオンで、妻とレストランをやろうと思ってます」
と、僕は答えながら、それはもう無理だろうな、と思った。彼女はもういないのだ。
引継ぎの打ち合わせの時間を確認し、ケネス准将の車の後ろに止めてあるワゴンに乗りこむと、僕は大きくため息をついた。
なんだかよくわからないけど、気分が悪かった。むかむかと身体の底から吐き気のようなものがこみあげてきた。
外気をいれれば、少しは気持ちがよくなるかもしれないと思ったので、僕はウインドウを下ろした。
太陽はもうすっかり昇っていて、アレクサンドリア湖は、その身体一杯に太陽を浴びて気持ちよさそうにたゆたっていた。
その風景をみると、つい十分前にそこで死んだものなどがいることなど、僕には信じられなかった。
(以下、4章以降割愛)


コメント 「 マフティーの正体を知った後の、ブライトの行動は、いつか発表の機会があれば」

103 :ブライトノア・クロニクル(中):04/07/17 13:35 ID:???


四章   木馬ホテル。




 ケネス准将から今後の引継ぎの手続きを済ましたぼくは、軍が用意してくれた木馬ホテルに向かった。
本当は司令部に泊まるようにいわれたのだが、あそこは肩もこるしマフティーの問題も残党狩りなどがまだ解決してないので、
市内に程近いホテルのほうがなにかと交渉の際に便利なのだ。ぼくは参謀本部に挨拶をすませると用意されたリムジンに乗って
木馬ホテルにいった。どうして木馬ホテルという名前なのかというと、一年戦争が終わった年の秋にちょうどつくられたホテルで、
ここのオーナーがそのころテレビでいつも特集されていたニュータイプ論にはまっていたからということだった。
ここにくるホテル客がみんなニュータイプになればいい、という希望を木馬、つまりホワイトベースにあやかって名付けたのだろう。
木馬と言うのは連邦政府にとってジオンに対する勝利の象徴みたいなものだったので、この名前は彼ら政府高官には受けた。
けれど、僕にはただのミーハーにしかおもえなかった。俗物とまではいかないけれど、それに近いセンスだ。
第一、一年戦争中のオーストラリアで観光ホテルをつくるなんて何を考えているというのだ?
とはいえ、外見はそれほど悪くない。白を基調とした品のある造りの超高層ホテルだ。そこのスイートルームを僕はオーナーから
ほとんど只に近い値段で借りることができた。おそらく僕が「木馬」の艦長だったからだろう。これはわるくないことだった。


 部屋に入った僕が真っ先にしたことは、暑苦しい軍服を放り投げることだった。床に乱暴に脱ぎ散らかして、下着一枚の姿になる。
ブリーフ一枚の姿だ。とてもじゃないが中年のブリーフ姿は人に見せられるものじゃない。それに僕の脇腹には宿命的に肉がついていた。
どれだけ運動してもその肉はまるで太陽によって生じる影のように、けっしておちてくれないのだ。
どうしてブリーフを履いているかというとトランクスが嫌いだからだった。宇宙空間ではどうもあれでは落ち着かない。不安定だ。
そういえば昔、ホワイトベースにいたときのことだけど、男のクルーだけでどんなものを履いているかアンケートをしたことがある。
アムロはトランクスじゃないと落ち着かないといったし、リュウホセイはノーパンじゃないと気持悪いといった。
僕はリュウホセイがノーパンでコクピットにいることを想像して気分が悪くなったものだった。それは限りなく犯罪に近い。
おかげでその日の晩の食事が喉を通らなかったくらいだ。ハヤトはフンドシといっていた気がする。
そして、話は次第に女性クルーのつけている下着へと話題が移った。カイが嬉しそうに話していたのをいまでも覚えている。
セイラがつけている下着について討論がはじまったところで、敵襲の報がきて会話はそれきりになったけれど。


104 :ブライトノア・クロニクル(中)2/4:04/07/17 13:42 ID:???


 備え付けの冷蔵庫からビールを取り出して、一息で半分近く飲んだ。ビールはよく冷えていて、実に美味かった。
唇についた泡を手の甲で拭いながら、先程の屋敷での出来事を思い出した。短い時間だったが、起きた出来事は歴史的なことだ。
宇宙世紀のゲリラ活動を制圧した輝かしい一ページとして連邦の記録ファイルに記されることになるだろうし、マフティー側、つまり
スペースノイドの側としたらシャアにつぐ殉教的犠牲者。なげかわしい暗黒の出来事ということになるだろう。全く対照的な記載だ。
同じ出来事でもうけとる対象によって、物事は全く別の側面を見せる。善が悪になり、悪が善になる。
僕はビール缶のプルトップをながめた。このプルトップをひねるのと同じくらい簡単にマフティーは殺されてしまったのだ。
それは僕にはどうも理解できないことだった。彼の思いはどこに消えていってしまったのだろう。まるでビールの泡みたいに、
銃声と共にそれは損なわれてしまったのだ。崇高な理念も若さゆえの熱情も、全ては弾丸の中に吸い込まれてしまったのだ。
僕はアムロのことを思い出す。シャアのことを思い出す。彼らが踊っていたステップを思い出す。それはもう既に損なわれてしまったものだ。
結局のところ、彼らの死は僕らに何を残してくれたのだろう?


 ビールを更に喉に流し込んだ。冷たい液体が喉をとおって、胃の中にゆっくりとおちていくのを感じた。
死刑執行に立ち会うと言うのはやはりどう考えても気分のいいものではなかった。
あんなところにはやはりいくべきじゃなかったのだ。すくなくとも僕はあそこにいるべき人間じゃなかったのだ。
あそこにいることが軍人の職務だというのであれば、僕は辞表をだしてよかったと本当に思う。
といっても、これはケネス准将たちを非難するということでもない。マフティーはさばかれるべき人間だったことは確かだし、
仮に裁判になったとしても死刑は免れ得ないということは明白だった。私刑であることは勿論、許されることではないのだけれど。
これはいうなれば僕個人の問題だった。ようするに、僕はもう人が死ぬ所は誰であれなんであれ見たくなかったのだ。
ビールを全部飲んでしまうと、僕は下着も脱いで、バスルームへと向かった。


冷たいシャワーを浴びてしまうと、幾分か気分が良くなった。同時にひどく眠くなった。
ベッドに横になると、朝早く起きたこともあってか、休息に意識が薄れていった。
意識がなくなる直前に、屋敷に入るまえにみた金色の少女のことをふと考えた。綺麗な少女だった。
僕が15歳だったらきっと恋をしているな、と呟いたと同時に意識は井戸に投げ込んだ石のようにストンと暗闇の中へ落ちていった。





105 :ブライトノア・クロニクル(中)3/4:04/07/17 13:53 ID:???




 目を覚ましたのは三時を少し回ったくらいのところだった。どうして目を覚ましたかというと何か工事をするような機械音が聞こえたからだ。
それはとても微かな音なのだけれど、僕の意識を乱した。長い戦場暮らしの所為で僕はかなり神経質になってしまっているのだ。
ほんのささいな物音でさえも、敵襲と感じてしまうこの癖はもうどうしようもない。
やれやれ、僕は溜息をついた。
ぐっすりと眠る事すら満足にできないということなのだろう。こどものときのように何の心配もなく眠ることは不可能なのだ。
それはとても不幸なことだ。けれど、永遠に眠りについてしまった人よりは幾分ハッピーなことかもしれない。
ベッドをはなれて下着を身に着ける。放り投げていたズボンと服を身につけ、大きく背伸びをする。
そこで、僕はふとあることに気がついた。いったいどこから工事の音がしていたというのだ?
別に僕はバスルームの配水管の水漏れの修理も、電球の取替えも頼んではいないし、ドアには鍵もかけていた。部屋の中ではない。
扉をあけて廊下をみても、そこには誰もいなかった。真っ赤なカーペットが山に捨てて行かれた飼い犬のように置かれているだけだった。
おかしい。僕は確かに工事をする独特の機械音を確かに聞いたのだ。
部屋に戻って、窓をあける。ここは市内の中心部にほど近いところにある超高級ホテル「もくば」の最上階なので、
アデレート市全体を一望することができる。
下を見るとゲリラで破壊された道路やビルにゴマ粒のように人が沢山集まっているのがみえた。みな落盤に備えてヘルメットを被っている。
そのせいか、ここからみると黄色の塊がうごいているようにしかみえなかった。黄色の塊はくっついたり離れたりをいくども繰り返していた。
彼らはそれぞれ指示をだしあっているようだったが、その声はさっぱり聞こえなかった。ただ風の音だけが僕の耳に入った。
工事の音がどこから聞こえたのか、さっぱり検討もつかなかった。僕は首をひねる。地球ぼけというやつかもしれない。
僕はあきらめて窓を閉めた。



 革張りのソファに座り、備え付けの液晶テレビをつけると、なにやら料理教室の番組をやっていた。今日はどうやらステーキのようだった。
化粧の濃い中年の女性と、初老にちかい男性コックが二人でなごやかに話しながら、料理をしていた。二人は夫婦のようにもみえた。
夫婦で料理をするという趣旨の番組かもしれない。だが、僕にはわからない。彼らがタレントかどうかすらわからない。
地球のテレビ放送にでるタレントなど知っているわけがないのだ。それにテレビをみるのはとても久しぶりだった。
僕はぼんやりとその二人が画面中で動き回る姿を眺めていた。働きアリのように男が動き、女はキリギリスのように喋ってばかりだった。
そうこうしているうちに、料理は完成に近づいていた。女性が野菜を大きな皿に盛り付けをはじめたところで、番組はCMに入った。
洗剤のCMが流れ始めたところで、僕はテレビを切り、おおきな欠伸をした。
そしてふと僕は自分が昨日の夜から何も食べていない事に気がついた。途端に、驚くくらいの猛烈な空腹を覚えた。
それは木星よりも巨大な、本当に底抜けのブラックホール的で、虚数空間に匹敵する途方もない空腹だった。
あまりの空腹に吐き気まで催すほどだった。これほどの空腹を覚えたのは生まれて初めてのことだった。



106 :ブライトノア・クロニクル(中)4/4:04/07/17 14:04 ID:???

 僕はホテルの食堂に行き、やたら背の高いウェイターから献立表を貰うと中身を開きもせずにステーキを二枚頼んだ。
一枚は塩コショウだけにしてもらい、もう一枚はシェフご自慢という特製のタレにしてもらった。どちらも焼き方はウェルダンで
注文した。ビールを頼もうと思ったが、思いなおしてやめた。さっきものんだばかりなのだ。昼間からあまり飲み過ぎるのはよくない。
かわりに僕は先程のテレビを考え、そしてつぎにステーキについて考えた。レアが食べられなくなったのはいつからだろう。
戦場でいい具合にこんがりと焼けてしまったジオン兵士の死体をみてからだっただろうか。それとも、
戻ってきた連邦兵の脇腹から流れ落ちる真っ赤な血液を見てしまってからだろうか。よく覚えてない。どちらでも同じ事だ。
とにかくそれ以来、僕は血が滴るようなレアステーキは食べられなくなったのだ。
他の士官にそのことを話すと彼らは僕の神経質さを嘲笑った。
そんなことじゃあ戦場で生きていけないよ、君。兵士なんて消耗品なんだ。替えなどいくらでもあるんだ。
と僕にしたり顔で諭してくれた中佐はシャアの反乱の時に戦死した。
彼は投降して来るとみせかけたシャアの艦隊の不意打ちをくらい、大量の対艦ミサイルとともに宇宙の塵になってしまったのだ。

「お待たせしました」

 その声と同時に目の前のテーブルによく焼けた分厚いステーキが二枚置かれた。鉄板ごと運ばれてきたので、
肉が焼ける音が辺りに響いた。僕は周りを見渡したが、中と半端な時間だということもあって客も少なく、別に
こちらを気にしている人はいないようだった。

早速、僕は肉に齧り付いた。
最高級の牛の最高級の部位の肉だということだったが、正直な所あまり美味しいとは思えなかった。脂身が多すぎる。
僕は肉は赤身が多い方が好きなのだ。これは年をとったからかもしれない。
特製のタレというのもそれほど僕の舌を満足させなかった。正直なところ、これならば近所のマーケットで売っている
市販のタレの方が美味しいのじゃないかと思った。くどい。とはいえ、僕の空腹を満たすのには二枚の特大肉は多いに役立った。
木星に住む人に生活物資を運ぶ連絡船のように僕の手は休むことなく食べ物を胃の中に放り込んでいった。
ホワイトベースを追跡してきた12機のドムをあっという間に倒したみたいに、僕は目の前に並べられた料理を片っ端から平らげた。
 結局、僕は魚介類のリゾットとステーキを二枚食べ、更にヌードルいりのポテトシチューとバジリコ入りスパゲティーを平らげ、クロワッサンに
バターをたっぷりつけて3個食べ、フレンチドレッシング付きのサラダ をボウル一杯の量食べた。
それでも空腹な僕はオーストラリア特産のトナカイ肉のローストビーフを分厚く切ったものを注文し、ボテトシチューをお代わりした。
そしてデザートとして生クリームをたっぷり使用したマロンケーキを半ロール食べた。
すると、口の中があまったるくなりすぎてしまったので、ハムときゅうりのサンドイッチを別に頼んで食べた。きゅうりはよく塩味が効いていた。
これくらい食べてしまうとさすがに、木星のように膨れ上がっていた空腹は、どうやらピグザムないしサイコガンダムにまで小さくなったようだった。
とはいえ、それでも僕はまだ腹をすかしていたので、オレンジのシャーベットを二杯お代わりし、最後にコーヒーを飲んだ。
僕の食欲はカプールくらいのサイズまで小さくなった。そして、それはありしひの僕の性欲と同じくらいだった。
ウェイターは僕のたべっぷりに驚きを通り越して、賞賛の表情すら顔に浮かべていた。
その表情の変化は、ダカールの演説の時の議員達の反応によく似ていた。当惑、呆れ、驚きから、最後には羨望になるあのタイプだ。
奥からホテルの料理長がでてきて、あなたのように食べてくれた人は初めてです、と僕に握手を求めてきた。

彼の手を握り返すと、やけにあたたかった。その過剰のあたたかさは僕に砂漠を思い出させた。
そういえばタムラ料理長はなにをしているんだろう?




部屋に戻ると、ドアの隙間に夕刊が影のようにそっと挟まれていた。
僕はそれを手に取り、中に入る。見出しには『マフティー処刑さる』と書かれているのが読めた。

(ブライトノア・クロニクル(下)に続く〉

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