きゃすばるくん、地球を救う 前編
[ きゃすばるくん、地球を救う ]
- 199 :きゃすばるくん 1/6:04/09/23 09:25:43 ID:???
『きゃすばるくん、地球を救う』 -前編
朝、起きると台所に少年時代のシャアがいた。たぶん十歳くらいの頃だとおもう。
僕はなんでこんなところにシャア・アズナブルがいるかわからずに「お、おはよう」といった。
シャアはにっこりとわらうと、鮭の切り身と、豆腐の味噌汁と、ササニシキのご飯に梅干と沢庵の入った小鉢を添えて
テーブルに並べた。とても美味しそうだったので、僕は条件反射的に椅子に座ってしまった。箸を掴み、むしゃむしゃと食べた。
美味しかったので三杯もおかわりしてしまった。
なにせ昨日は会社の残業が終電ぎりぎりまで長引いた所為で、ろくに物も食べていなかったのだ。
僕は味噌汁を飲み、シソの味がよく染み込んだ梅干を齧り、沢庵を小気味よい音を立ててかみ締めた。
あらかた食べ終わった後、僕の脳はようやく動き始めた。おいちょっと待て。どうしてこんなところにシャアがいるのだ?
そしてどうして僕は彼のつくった朝食をなんの疑問もなしに食べているのだ?
僕は箸を置くと洗面所に向かい顔を洗った。入念に歯を磨いた後、シェービングクリームをたっぷりとつけて髭をそり、
あたたかいタオルで拭いた。そして、使い捨てのコンタクトレンズを嵌め、目薬をさした。すると、ようやく物事がくっきりと見え始めてきた。
台所に戻るとシャアはまだいた。僕は溜息をついた。
やれやれ、これは現実なのだ。シャア・アズナブルは実際にここにいるのだ。
いつのまにかテーブルの上は綺麗に片付けられていて、食後のコーヒーが湯気をたてて僕を待っていた。
僕は観念して座った。こうなったらどうにでもなれだ。
「まず、最初に確認しておきたいんだけど」と、僕はいった。
「なにかな?」とシャアはいった。結構高い声だ。すくなくともCV:池田 秀一の声ではない。
「これは現実だよね?」
「もちろん」
「やれやれ」
僕はコーヒーを飲んで、海よりも深い溜息を吐いた。
※
僕は28で、都内にあるわりかし大手のシステム会社に勤めている。
最近ではUFJと三井住友銀行が合併するのでその基間であるプログラムの変更作業に携わる仕事を中心にしている。
彼女はいるが最近はお互い仕事が忙しくてあっていない。SEXを最後にしたのは3ヶ月前だし、電話をしたのだって2週間前のことだ。
血液型はA型で、3歳下の妹が一人いる。趣味は特にない。履歴書の趣味欄に『読書。音楽鑑賞』とかくタイプだ。
目はやや乱視だし、右の奥歯には金歯がひとつ埋まっている。車はいま話題の三菱カローラだが、最近トヨタに替えようかと思っている。
つまり、ごく平凡などこにでもいるタイプの人間である。幻覚をみるようなことはいっさいしていない。
※
- 200 :きゃすばるくん 2/6:04/09/23 09:32:51 ID:???
「わたしはきゃすばる・れむ・だいくんです」と少年はいった。
「つまり機動戦士ガンダムにでてくるシャア・アズナブルだね?」と、僕はいった。わりと細かい性格なのだ。
彼はこくんと素直に頷いた。「そうともいいます。そっちのほうが皆さんには有名かもしれません。
けれど、ここではぼくはきゃすばるなんです。ここをしっかりと理解していてください。
だから僕のことをここでは『きゃすばるくん』とよんでください」
まるで大事な呪文を唱えるようにいったあと、彼は僕の目をじっとみた。僕はその言葉の意味をしっかりと考えた。
「つまり、君はシャアではなくキャスバルのほうで呼ばれたいということかな?」
「そのとおりです」シャア、いや『きゃすばるくん』はそうこたえた。そして、熱いお茶を一口すすった。
「僕はきゃすばる・れむ・だいくんです。クワトロでもエドワウでもアズナブルでもなければ、赤い彗星でもありません。
ジオン・ダイクンの子であり、アルテイシアの兄であるきゃすばるです」
「なるほど」
僕は頷いた。けれど、正直な所シャアとキャスバル・レム・ダイクンとの違いがどこにあるのかよくわからなかった。
「とつぜんお休みの所お部屋にあがりこんでしまったのはおわびしなければいけません。こうするより他なかったのです。
驚かせたことはたいへん申し訳ないとおもってます」と、きゃすばるくんは実に礼儀正しくあやまった。
「いや、それは特にかまわないけれど。朝食をつくってもらったことだし。
ところでその、いったいきゃすばるくんは何のようがあってここにきたのかな?」と、僕はあつあつのコーヒーを飲みながらいった。
「話せばながくなりますけれど、お時間のほうはよろしいですか?」
僕はちらりと時計をみた。もうそろそろ部屋をでなければ間に合わない時間だった。
だいたいここは駅から少し遠いのだ。契約書には駅まで十分とか書いていたのだがそれはまるっきりの大嘘だった。
確かにうまくいけばそれくらいでつくが途中にある踏みきりがインドの牛みたいにまるっきり動かないのだ。
「わるいけど、そろそろ会社にいかないといけないんだ」と僕はいった。
「どうぞいってきてください」ときゃすばるくんは言った。「ぼくはここで洗い物をすませてから帰ります。
話は今日の夜にでもまたすることにしますから。何時ごろにはございたくですか?」
僕はちょっと考えた。昨日、だいぶ作業は進んだから今夜はそれほど残業しなくていいだろう。
「九時ごろには帰りついているとおもう」と僕はいった。
「それじゃあそのくらいに」ときゃすばるくんもいった。そして、彼は洗い場に向かい、僕は会社へと向かった。
僕の机の上にはうんざりするくらいの仕事が山積みされていた。僕は昼休みも取らずに仕事をせっせと
こなした。途中、上司が僕のところにやってきて仕事を更に1つ追加していった。
「明日までに頼むよ」と上司は何の配慮もない検察官みたいに僕に宣告した。
冗談じゃない。そんなの別に僕じゃなくたって他のそのへんにいるやつにやらせればいいじゃないか。
けれど会社での僕の立場は中東におけるロバのようにか弱いものだったので黙って頷いた。SEなんてそんなものなのだ。
おかげで僕は今日も終電に乗る羽目になった。
部屋に帰ると彼はいなかった。テーブルの上には逆襲のシャアのDVDが置かれていた。
- 201 :きゃすばるくん 3/6:04/09/23 09:42:17 ID:???
- ※ ※
僕はガンダムというものをあまりよく覚えてなかった。子供のころはわりと熱中してみていた記憶はあるし、
プラモデルもつくっていたのだが、ZZの頃になるとなんだかひどく幼稚に感じて全て捨ててしまった。確かそれから僕は
もっとリアリティのあるアニメをみるようになっていったとおもう。けれど何をみていたかさっぱり覚えてない。
ガリアン?レイズナー?そんなものをみていたかもしれないし、まったく何もみなかったのかもしれない。
そもそも現実的なアニメなんていったいどこにあるというのだ?
※ ※
翌日、夕方ちかくに再びきゃすばるくんが尋ねてきた。土曜日だったので僕は家にいた。
「DVDみてくれましたか?」と、あがってくるなり彼は聞いた。
「あぁ、みたよ。まさかアムロとシャアがあんなことになっているとは思わなかったな。
あれって結局のところ、最後二人とも死んだのかい?」
「みてくれたならようやく本題にいきます」と、彼は僕の質問をまるっきり無視していった。
「本題?」
僕は反芻した。彼は頷いた。
「ぼくは隕石から地球を救いにきたんです。」
と、彼は握りこぶしをしながら断固たる口調でそう言った。
♯ ♯
「隕石?」と僕はすっとんきょうな声をだした。
「はい」
「ちょっと確認したいんだけど、それが地球に落ちるということ?」
「そうです。とてつもなく巨大な隕石です。落下してきたら人類は滅亡してしまいます」
きゃすばるくんはとても真剣な顔をして、かたちのよい眉をきゅっと潜めた。
僕は彼がDVDの話をしているのだとおもった。昨日みた「逆襲のシャア」というのは地球崩壊というカタストロフを
目的とするシャア・アズナブル総帥が軍を組織してアクシズという巨大隕石を落す話だったからだ。
「アニメの話をしてるのかな?」
「違います。100パーセント現実としての話です」
「暗喩でも隠喩でも逆説でも脱構築でもなく?」
「もちろん」
「やれやれ」と、僕は溜息をついた。大変なことにまきこまれたようだった。「やれやれ」僕は2度言った。
一気に疲れがでてきたようだった。
- 202 :きゃすばるくん 4/6:04/09/23 09:47:47 ID:???
僕があんまり溜息をつくものだから、きゃすばるくんはとても不安そうな顔をしていた。きっと僕があんまり乗り気そうじゃなかったからだろうとおもう。
その不安そうな顔をみているとまるで自分が悪いことをしているような気になってきた。
「一つ質問して良いかな」と僕はいった。どうも気になることがあったのだ。
「どうぞ」
「その隕石なんだけど。それを落すのは君なんじゃあないか?隕石から地球を救うのは君の立場じゃないとおもうけど」
それはアムロの役目のはずだった。ごぞんじのとうりガンダムの主人公の少年。もっとも映画版では大人になっていたけれど。
きゃすばるくんは首をしずかにふった。まるで融資をことわるときの銀行員みたいな柔らかな振り方だった。
「昨日ももうしあげたとおりぼくはきゃすばるくんです。その映画にでているシャア・アズナブルとは違います」
「だって、君はキャスバル・レム・ダイクンだろう?だったらシャア・アズナブルじゃないか」と、僕はいった。
「ぼくはきゃすばるです。だけどシャアじゃありません」
僕は彼の目を見た。彼も僕の目を見た。曇りのない綺麗な目だった。少なくとも隕石を落すような瞳ではない。
「とりあえず話を聞いてください」と、彼はいった。
「どうぞ」と、僕はいった。
「西暦2004年9月25日夜にここ、東京都世田谷区に直径三十キロメートルの巨大隕石が落下してきます。
その衝撃は広島長崎に落ちた原爆のゆうに数十万倍あります。東京にいる人の半数、葯500万人以上はその衝撃により
瞬時に死んでしまいます。死んだことさえ気がつかないくらいの一瞬の出来事です。都庁は崩れ落ち、皇居は粉々になり、
東京ドームで巨人対阪神戦をみていた観客は、代打で登場した清原のホームランの直後に人生のゲームセットが訪れます。
人々は自分たちに訪れた悲劇を理解することもなく、消えていくのです。最初は衝撃波によって、その後は大爆発によって。
結果的には関東圏一帯にすむほとんどの人は一両日中に死んでしまいます。それはとてもかなしいことです」
きゃすばるくんはそういって哀しそうに唇を噛んだ。
「被害は日本だけにおさまりません。その衝撃の際にまいあがった粉塵は大気圏にまで舞いあがり、偏西風に乗って
地球全てを覆い尽くします。太陽光はさえぎられその結果、地表の温度は極端にさがり、農作物は育たなくなります。
人々は氷河期の再到来の事実に恐れおののきます」
「核の冬ってやつだね」と、僕はDVDでみたフィフス・ルナがラサに落された光景をおもいだした。あれと同じことがここにおきる?
「そのとおりです」ときゃすばるくんはいった。「やがて世界規模な食糧危機がはじまります。最初に暴発するのは中国です。
あれだけの人口を抱えた国ですから仕方ありません。こうして泥沼的に第三次大戦が始まります。核が使われ、大陸が焼きつくされます。
一年戦争なみに人が死ぬでしょう」
中国が戦争をおこすことはありえそうだった。この前のサッカーから考えて彼らが僕らを嫌っているのは明白だったからだ。
そして仮にそうなったら日本は一体どうなるのだろう?国家として果たして存続できるのだろうか?それは僕の想像の範囲を超えていた。
ただ僕のこの世田谷区での安穏として生活はなくなってしまうのは間違いないということだけはわかった。
「ひどいね」と僕はいった。
「ひどいです」ときゃすばるくんはいった。「実にひどい」
重い沈黙が続いた。僕らは圧倒的な暴力の予兆のなかにいるのだ。そして、誰一人そのことに気がついていないのだ。
- 203 :きゃすばるくん 5/6:04/09/23 09:51:54 ID:???
僕は口を開いた。
「けれど政府は何も発表してないみたいだけど。そんな隕石が近づいてきていたらニュースで流れるんじゃないかな」
「それはありません。そんなことを公表したら世界中がパニックになってしまいます。
政府の首脳はあたまを抱えてウンウンと唸ってますよ。小泉首相が国連にいったのも実はそのためなんです」
きゃすばるくんは当然といった風にしてこたえた。
「けれど何もきまらない?」と僕はいった。
「きまるわきゃありません。そんなの。アメリカが核をぶつけるしかないなんていってましたが、それも土台無理な話です」
やれやれ。僕は溜息をついた。そんなのまるっきりアルマゲドンじゃないか。
「非現実すぎるね」
「そうです。現実はハリウッドでもディズニーでもワーナーでもフォックスでもありません。スピルバーグもいなければ
ジョージ・ルーカスもいないしジャン・リュック・ゴダールもいないのです。彼らはあくまで想像のなかでしか世界を救えません」
「世界のハヤオでも無理かな?」
「もちろん無理です。救えるのは僕らだけです。僕とあなただけです。いいですか?
ぼくと あなた だけなんです。
シャア・アズナブルが地球に隕石をおとすまえに彼を倒さなければいけないんです」
♯ ♯
「ちょっとまってくれ。シャアが隕石を落す?それはアニメだろう?」
僕はびっくりしていった。きゃすばるくんは残念ながらといった感じに首を振った。
「シャアです。宇宙世紀0059年11月17日の蠍座でAB型の彼です。誤解の無い様にいっておきますが、ぼくじゃなくてシャアです。
彼はとても現在の地球にたいして怒りくるってます。どうして怒ってるのかは僕にもわかりません。
ガソリンが一リットル130円台になりそうなのからかもしれませんし、児童の犯罪が多すぎるからかもしれません。
ララァへの哀しみに突然囚われたのかもしれないし、地球の将来にいいようのない不安を感じているからかもしれません。
もしかしたらテレビでガンダムシードの続編の噂を耳にした可能性だってあります。
僕にはしょうじきなところそれは全くわからないのです。わかるのは彼が隕石を落すという事実だけです」
そこで彼は僕がちゃんと理解しているかどうか確かめるように言葉をきった。僕が続けるように促すと、彼はまた口を開いた。
「実のところ、こんなことをいってもすぐに信じてもらえるなんておもってません。けれどこれは真実です。
シャアなんてのはアニメの存在だというのかもしれませんが、それはちがいます。宇宙というのはあらゆる可能性のカオスであり、
ドグマであるいうことを僕らは再認識しなければなりません。そこにはシャアがいてラピュタがありダースベイダーが存在しています」
「ラスコリーニコフもいる?」
「もちろんもちろん」ときゃすばるくんはいった。「ジュリアン・ソレルだって、マイケルジャクソンだっていますよ」
僕はダースベイダー率いる闇の軍勢と地球連邦軍が戦い、ジュリアンが貴婦人と寝て、ラスコリーニコフが老婆を殺し、マイケルが無罪を主張し
そこにラピュタの雷が落ちるシーンを想像した。かなりシュールな場面だ。
版権をとるのだって大変そうな気がする。きっといろんなところの重役にあって許可を取る必要がある。きっとディズニーがからんだら無理だろう。
- 204 :きゃすばるくん 6/8:04/09/23 09:59:49 ID:???
「けれどいま現実として戦わなければいけないのはシャア・アズナブルですから他のはとりあえずおいておきましょう」ときゃすばるくんはいった。
「それがいい」と僕はいった。まさかスパイダーマンやゴジラやジョン・マクレーン刑事と戦うような余裕はない。第一、僕はただの会社員なのだ。
「それで僕は何ができるんだろう。知ってるかもしれないけど、僕はただのしがないプログラマーだよ。
給料だって少ないし、残業代だってほとんどでない。ボーナスだってカットされまくりなんだ。車のローンだってあと2年残っているし。
君が金銭的なめんで僕に何か求めているんだったら・・・」
「それは問題ありません。ぼくはあなたにお金の面での援助を期待しているわけじゃないです」
「それじゃあ僕はいったい何をすればいいんだろう」
「共感です。わかりあいたいという気持があればいいんです」
「共感?」とぼくはおうむ返しに問うた。「それはいったい具体的にはどういうものなんだろう?」
きゃすばるくんは僕の質問に暫く考えていたようだったが、やがて口を開いた。
「ぼくから一つおききします。最初ぼくにあったときあなたはどうしてぼくがシャアだとおもったんですか?」
そういえばなんでだろう。僕はどうして彼がシャアだとわかったのだ?僕はガンダムにそんなに詳しくないし、第一彼はいま子供の姿なのだ。
はっきりいってガンダムマニアとよばれる連中でもきっとわからないと思う。
「それが共感なんです」彼は僕の目をじっとみた。
「あなたは僕を一目みてシャアだとわかった。だからあなたをえらんだ。そういうことなんです」
その言葉には不思議と納得させる何かがあった。どうしてかはわからないけど、僕はきゃすばるくんに選ばれたのだ。それならやってやろうじゃないか、と
僕はおもった。いままで生きてきて特に何をしてきたわけでもないし、そしてこれからも何をする予定もないのだ。
「僕になにができるかわからないけれど、できるかぎり協力するよ」と僕はいった。
「ありがとうございます。あなたじゃなければならないんです。正直言ってとてもほっとしています。
なにしろあと二日しか猶予はありませんし、それまでにしなければならないことは山積みされてますから。たくさん、たくさんあります。
万が一にも僕らは負けるわけにはいかないのです。
僕らはまだ死ぬわけにはいきませんし、シャアもまた隕石を落すべきではないんです」
きゃすばるくんはそこまでいってしまうと、目を閉じて一旦深く息を吐いた。ほんとに張り詰めていたのだろう。額には汗が浮かんでいた。
「すいませんが、お茶を一杯頂けますか」と彼はいった。
「コーヒーでいいかな」
「お願いします」
僕は立ちあがりキッチンへと向かった。薬缶に水をいれ火にかける。お湯がわくまでの間、僕は窓から外を眺める。
月がぼんやりと霞んでみえた。星はあたりまえだけどほとんどみえない。東京では星をみるひとなんてほとんどいないのだ。
あそこにシャアがいるのだな、とおもうとどこかいつもと違って見えた。隕石はみえない。
コーヒーと角砂糖の入った瓶とクレープをお盆に入れて部屋に戻ると、きゃすばるくんは「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の
DVDをセットしているところだった。
「もう一回みましょう。よく相手の仕草を研究しておかなければいけません」と彼はいった。
「そうだね」と僕はいった。
- 205 :きゃすばるくん 7/8:04/09/23 10:08:03 ID:???
- ※ ※ ※ ※
Zガンダムをリアルタイムでみていた子供の頃、いつも不満に思う事があった。それはカミーユという主人公がやけに暗く、また精神的に
ちょっと歪んでいるというようなことでも、クワトロのファッションセンスのひどさでも、ファのパンチラシーンの少なさでもなく、
純粋にモビルスーツに対する不満だった。それも味方のではなく敵の機体に対するものだった。
どうしてザクが全然といっていいほど出てこないのだ?あれほど完成されたデフォルメのMSをどうして使わないのだ?
それはある意味神への冒涜ではないのか?ハイザックなんかどうでもいいのだ。
僕は常にそう思い、それをひどくストレスに感じたものだった。しまいにはイライラしてテレビを消した事もあった。
僕はガンダムよりザクの方が好きだった。それは只単に僕がアマノジャクだったからだということではなく、
ザクにはどこかドイツ軍の匂いがあったからだと思う。僕はドイツが好きで、大学時代にはドイツ語も専攻した。
英語とまったくちがう文法形式にはいささかうんざりとさせられたが、それでも新しいことを学ぶという事は決して厭なことではなかった。
僕はいつもドイツ語を勉強しながら、どうしてこんな美しい言語を持つ人種が二回も世界大戦を引き起こしたのだろうか、ということを
考えざるを得なかった。そこには愛国心や国益以上の何かの理由がある気がした。そんな理由ではないはずなのだ。
もっと口では説明できない『なにか』がそこには胎動していたのだと僕はおもう。そうでなければあんなに人が死ぬ戦争なんておこるわけがない。
ヒトラーだけに責任をなすりつけるドイツ政府のやりかたには首をひねらざるをえなかったし、ハーケンクロイツにたいする過激な弾圧はどこか本筋と違うように感じた。
人はどうして戦争を起こすのか僕にはさっぱりわからなかった。戦争なんかなくたって世の中はありとあらゆる災厄に満たされているのだ。
ぼくらはいつも死の予兆のなかに存在しているのだし、圧倒的な暴力の鼓動のなかで絶えず呼吸を繰り返しているのだ。
どうして更に暴力を増やす必要がある?そんなことをしていったい誰が得をするというのだ?
ハイネのドイツ・ロマン派論を学びながら僕が考えたのはそんなことばかりだった。おかげでいまではドイツ語なんて全く喋れない。
ワールドカップにドイツに行ってそこでザウアークラウトと黒パンとウィンナシュッツレルを食べようという計画はもうすっかり過去のものだ。
それはそうとしてザクのどこが好きだといわれると口元にあるパイプだろうと思う。あれはどういうわけか僕には巨大な
コンドームに包まれたペニスを想像させてくれる。ガンダムはそのてん、性的な観点からみると実に無個性にみえる。ゲイみたいだ。
※ ※ ※ ※ ※
「彼は自分のことが嫌いなんです」
画面の中で地球がきらめく緑色の虹に包まれ始めた頃、きゃすばるくんはぽつんといった。
雨やどりをしている少年が灰色の空にむかって呟くような、そんな感じの哀しげな言い方だった。
「自分のことが嫌い?」僕は聞いた。
「ええ。シャアは実際はこんなことをしている自分が大嫌いなんです。だけど、こうするしかないんです。だからまた嫌いになる。
経済活動みたいなものですね。デフレ・スパイラル。いったんはまってしまうと、もう2度と抜けられない。DNA螺旋のようなものです。
だからこんなことをしてしまったんです。実に馬鹿な男です。本当にめもあてられない」
けれど、言葉とはうらはらにきゃすばるくんの口調には怒りというものがなかった。まるで出来の悪い生徒にたいして
おこっているときの教師のようなあたたかみが感じられた。
- 206 :きゃすばるくん 8/8:04/09/23 10:14:32 ID:???
「君はシャア・アズナブルのことが好きなんだね」と、僕はいった。
「とても」と少し迷った後にきゅすばるくんは恥ずかしそうにいった。「こんなこというとナルシストみたいですけど」
「そんなことはないよ」と僕はいった。「誰だってシャアのことが好きさ。いまでもガンダムで一番愛されてるキャラクターだとおもうよ」
僕の言葉にきゃすばるくんは安心したように笑った。が、すぐに唇を引き締めた。
「僕は彼のことが好きです。彼の弱さや気丈さ、思いこみの激しさやナイーブさ、妹思いな所も、そういったすべての要素が僕は好きです。
けれどこれとそれとは話が別です。隕石を落とす事は間違ったことです。僕は彼をたたきのめさなければいけません」
「シャアがロリコンってのは本当かな?」
「それは僕の口からはなんともいえません」ときゃすばるくんはいった。「ただ彼は自分の内なる暗黒が嫌いでした。
シャアとして何かしら行為をする度に、淀みのようなものが自分の中で増殖しているのがわかりました。それは年を経るごとに巨大に黒くなっていきました。
彼は自己の暗黒を意識し、それゆえに自分が人類の革新のモデル・ケースになれないと理解していました。父の思想を体現することは無理だと。
なぜならニュータイプというのは究極的にピュアであるべきだというのが彼ら2代の一貫した主張だったからです。
そこで彼は少女に絶対的な善性を求めたのです。白い無垢な魂です。ことわっておきますが、それは処女性とは関係のない魂の問題です。
少女の魂、そこにニュータイプの思想や人類への希望、更には個人的な母への思慕、そういったあらゆる要素が入っていたのではないかと
僕は想像しています。いうなれば少女というものは澱みのない純粋な思想なのです」
「彼は思想としての少女を愛し、肉体としては愛してなかったのかな」
「そこまでは僕にもわかりません。彼と僕はあくまで別個の存在ですから」
きゃすばるくんは残念そうに首をふった。「僕としては彼が性的にノーマルだったと信じたいですが」
それから僕らは具体的にどうやってシャア・アズナブルの隕石落下計画を阻止するか話し合った。
きゃすばるくんはとても綺麗な金色の髪をしているので、暗い部屋の中でのぽぅっと浮かんで見えた。
テレビからはTMネットワークが「BEYOND THE TIME」を唄っているのが聞こえてくる。小室哲哉?そう、小室哲哉だ。
「全ての物事は意識下の中で行われます」ときゃすばるくんはいった。「そこはあらゆる三次元的な制限から解き放たれた世界です。
宇宙であろうと東京の世田谷区であろうと問題はありません。僕らは意識の中のモビルスーツにのり、意識の中の宇宙で、
意識の中のシャアを打ち破らなければならないんです。彼のサザビーを破壊し、隕石の落下を食い止めるんです」
「そうすれば地球に落ちる隕石の落下を食い止められるんだね?」
「そのとおり。何故ならばあらゆる物事は全て想像力のなかでおこなわれるからです」
「アムロとララァのように?」
僕は昔見たガンダムの光景を思い浮かべながらいった。
「そのとおりです」ときゃすばるくんはにっこりと笑った。「あれが理想です」
『きゃすばるくん、地球を救う』 後編へ続く